ゆっくり人生

不登校や引きこもりを経験しながら、現在は研究者の登竜門的存在である日本学術振興会 特別研究員(DC1)を務める大学院生のブログ

【大学院】どのような人が文系大学院に進学するのか

 

どうも、ユモクです。

 

皆さん、「大学院生」にどんなイメージを持っているでしょうか?

最近、親族から「ユモクくんって〇〇大学の大学院生なの?優秀じゃん!」と言われました。

「本当に優秀なヤツは引きこもりを経験しないし30歳間近にして学生やってないねん」という気持ちもありましたが、そのときは「それほどでもないですよ」と愛想笑いをして終わりました。

 

◯ユモクの経歴について参考:

yumoku-slowlife.com

 

 

自分のことは置いておいて、実際に大学院に在籍し周囲の人間を見ていると、「大学院には優秀じゃない人も多いですよ」と強く主張したいところでした。

 

そこでこの記事では、文系で大学院に進む人にはどんな傾向があるのかを、自分の周囲の人だけから判断するという非科学的な経験則書いていきます!

僕の独断と偏見に過ぎませんが、他の大学院生に共感してもらえることが多いのも事実です。

そして「文系」と言うところも非常に重要。多分理系は状況が違うはずです。

 

 

 

 

前提として、「優秀な人しか大学院に入れない」なら学歴ロンダリングという揶揄は起きない

まずは「外部進学者(他大学からの大学院進学者)は優秀か?」という話から。

大学院は同じ大学の学部からだけでなく、他の大学からも進学してきます。

 

外部進学者の出身大学は、進学先の大学院と比較すると学部偏差値は低い場合が多いです。

大学院は研究テーマで選ぶ人もいる(というかそうあるべき)ため、あえて学部偏差値の低い大学院へ進学する人もいますが、僕の領域だと稀です。

 

このような実情の中、もし、「ある大学から別の大学院に進学してくる人は優秀である」という傾向にあったら、出身学部よりレベルの高い他大学院に進学することを「学歴ロンダリング」というような揶揄する言い方はされません

 

一般的に、大学院に入るために要求される能力は、学部に入るために必要な能力と比較して低いと言って良いでしょう。

 

学部に入るために必要な能力=偏差値であり、大学院に入るために必要な能力=研究能力と、求められる能力がそもそも異なるため一概に比較できません。

ただ、一般的に下のランクとされる大学から上のランクの大学院に入ってくる外部進学者は、同じ学部からそのまま進学してくる内部進学者と比較して能力が低い傾向にあると僕は感じています。

特に地頭、頭の回転の違いを感じます。

 

当然、例外もいます(僕の尊敬する先輩の中には、無名の大学から進学してきた先輩もいるし、優秀な同期もいました)が、「外部進学者は優秀だから、出身大学より上のランクの大学院に入れた」というようには感じませんね

 

そもそも僕のいる研究領域の大学院って、上位ランクの大学院でも定員充足に苦労してるんですよ。

だから、「優秀な人材を集めたい」という考えを大学院は持ちつつ、定員充足を考えると優秀な人を選別できるような状況ではないようです(これは実際、うちの大学の先生が嘆いてました)。

残念ながら、文系の大学院は人気がないのが実情です。

 

 

内部進学者も優秀な人ばかりではない

それでは、同じ大学の学部から大学院に持ち上がる「内部進学」をする人は優秀なのでしょうか?

これは "YES", "No"どちらとも言えると思います。

「内部進学者の能力は二極化している」と僕は感じています。

外部進学する人たちの学部内での能力ランク(ここでは研究能力・論理的思考力などを念頭としています)って、「上位層」と「下位層」に分かれるんですよ。

少なくとも、僕の学年ではそんな感じでした。

 

より詳しく説明していきます。

「下位層」と言ってもそもそも研究に興味のない最下位層は(当たり前ですが)大学院へと進学しません。

そういう人たちはクレバーなので、大学名を利用して良い就職先を見つけていきます。

稀に「モラトリアム期間を伸ばそう」として大学院進学する人もいますが、うちの先生方はそういう人たちは容赦なく落とします

定員割れが起きそうでも、研究をやる姿勢がない人を受け入れるようなことはしないということでしょう。

 

下位層の中で残るのは、「研究に関心は強いけど、能力が伴っていない人」

研究能力は才能より努力で伸びる部分が大きいとは思うので、そういう人たちが化ける可能性も当然あります。

ただ、こういう人たちって概して「頭が硬くて他人の助言を聞けない」場合が多いので、伸び代を感じないんですよね(小声)

 

そして「上位層」は、「上位層」の中でも研究に関心があり、かつ能力もずば抜けている人が多いです。

「『ずば抜けている』ほどではないけど優秀な人」は、自分の能力に自信を持てず、見切りをつけて研究の道を断念する人が多かったです。勿体ない…

大学では、「ずば抜けて優秀な人」たちしか先生方に目をかけてもらえないので、「飛び抜けてはいない」優秀な層は自信を持ちづらいのかもしれません。

 

そのため、大学院に進学するのは本当に優秀な人自分の能力を過信している人だけが残ります。

「本当に優秀な人は残り、やや優秀な人は自信を持てず大学院進学を諦め、大学院でやっていくのが難しそうな人は自分を過信して進学するというような状況が、僕の修士進学の際には生まれました

「綺麗な『ダニングクルーガー効果』が生じたな」と興味深く見ていました。

 

◯参考:

ダニング=クルーガー効果 - Wikipedia

 

 

ちなみに博士課程進学に関してはさらにその状況に拍車がかかりました

特に僕が「コイツはできるな」と一目置いていた人たちは、就職するか海外の大学院に進学するかの方向へ行ってしまいました。

残ったのは研究能力に不安があり、博士号を取得できるか疑問に思うレベルの人ばか営

僕はどうなんだろう… DC1取ってるから自信持ちたいけど、マグレかもしれないしな…

 

◯「『DC1』って何?」という方への参考: 

yumoku-slowlife.com

 

 

「研究者になるのは優秀な人ではなく、なりたいと思った人である」

これは、能力があるのに博士進学を諦めて就職した僕の同期の言葉です。

僕の周りでは、優秀な人ほど就職してしまい、「この人博士号を取れる能力あるの?」と疑問視してしまう人が博士課程に進学する傾向にあり、この言葉の重みを感じます。

 

「僕の周り」だけかもしれませんが、DC1という経済的に恵まれた立場にいる僕でも思うのが、「博士課程に進学するより社会に出た方が、生涯賃金も上がる可能性あるしやりがいもありそうだな」ということ。

 

少なくとも僕のいる研究領域って、「社会の役に立つ研究をしている」という手応えを感じづらい領域なんだと思います。 

そう思うのは、僕の研究方針が悪いだけかもしれません。

しかし、少なくとも僕の周りの研究者は「世のため人のため」という指向性が低く感じます。

そんなことより、自分の研究で自己満足ができる人が多い印象。

「自分の好きなことを仕事にできる」という意味では、研究が好きな人にとっては研究職って魅力的でしょう。

ただし、『優秀かつ多くの人のために活躍したい人』にとって魅力的な職業か」と言われると、そうではないと思います。

 

僕は、ここまで「大学にいる研究者は優秀な人である」と信じて修士課程に進学し、DC1を勝ち取り、博士課程まで来ました。

ただ周囲の状況を見ていると、そうではないんじゃないか、能力に関係なく大学に残った人が大学で研究者となっていくだけではないかと思わざるを得ないです。

大学院観・研究職観が大きく揺さぶられ、悩んでいる今日この頃です。

 

最後に、あくまで「自分の周りの人を見ていて」の話ということを念押ししておきます。

 

おわり

 

 

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