ゆっくり人生

不登校や引きこもりを経験しながら、現在は研究者の登竜門的存在である日本学術振興会 特別研究員(DC1)を務める大学院生のブログ

【大学院】京都大学の博士号剥奪のニュースを見て、研究倫理について博士課程学生(DC1)が考えること

 

どうもユモクです。

 

3日前のニュースで論文盗用による博士号の取り消しを報じたニュースがありました。

 

news.yahoo.co.jp

 

博士課程に在籍する大学院生としてはなかなかショッキングな記事です。 

それとともに、「どのような事例なら取り消しまでいくのだろう?」という点が気になりました。

と言うのも、正直なところ研究倫理違反は油断すると悪意がなくとも起こり得るものだと思うんですよね。

そこで今回の記事では、そもそも研究倫理とはどういうものか、現在の大学院における研究倫理教育はどのようになっているか、そしてなぜ僕が「研究倫理違反は油断すると起こり得る」と言うのかについて書いていきたいと思います。

 

 

 

研究倫理はどういうものか?

簡単に言ってしまうと、研究を行う上での最低限度のルールが研究倫理となります。

研究界隈の法律とまでは言いませんが、侵害すると今回のように博士号の剥奪や論文の撤回、少なくとも同業者からの信頼がガタ落ちします。

研究の世界はピアレビュー、つまり研究者同士が評価しあう事が基本なので、信頼を失うことは非常に大きな痛手になります。

 

細かい点は研究領域によって異なりますが、基本的なものは日本学術振興会の以下のページにある「科学の健全な発展のために-誠実な科学者の心得-」から確認できます。

 

www.jsps.go.jp

 

どこの院生室にもこの緑本はある、少なくとも「内容はきちんと確認しておくように」と大学院や教員からお達しがあると思います。

 

研究倫理として扱われるものは非常に多岐に渡り、今回の博士号剥奪で最も問題視されたであろう論文盗用の禁止から、実験や調査、論文投稿の際に留意すべき事項まであります。

研究の世界特有のものもありますが、「個人情報の保護」や「著作権」など、業界問わず気をつけなければならない社会常識的な内容も多いです。

今回の博士号剥奪も、「盗用」という社会常識があればそもそも侵されない研究倫理に関するものだったと思います。

そのため、「博士号剥奪は当然」と言えるでしょう。

 

 

大学(院)における研究倫理教育

近年の大学、特に大学院では研究倫理に関する教育が熱心に取り組まれています。それは日本全国どこの大学(院)でも変わらないでしょう。

 

特に2014年のSTAP細胞騒動より研究倫理への意識が高まったと言われています。

このニュースの件は2012年に授与された博士号の取り消し、つまりSTAP細胞騒動より前のことではありますが、前述の通り研究倫理だけでなく社会常識レベルの話なので現在より研究倫理意識が低かった時代ということは言い訳になりません。

 

研究倫理教育に関するカリキュラムは大学によるでしょうけど、僕の在籍する大学では学部初年次にレポート作成・提出に必要な範囲の簡単な研究倫理の説明を受け、研究室配属の頃にちゃんとした研究倫理について講義で扱われます(卒業論文執筆のため)。

そしてさらに修士・博士に入ると学部時代以上に口酸っぱく研究倫理に関する教育を受けることとなります。

研究倫理の教育は幾度となく授業で受けることとなりますが、本格的に研究倫理について問題となるのは自分の研究を公表する段階(≒学会での研究報告や論文投稿時)、つまり大学院生になってからです。

そして大学院生個々人の研究に関しては専攻や研究室の教員の指導の下行われます。

研究倫理に関する責任を本人の次に問われるのは、それらの教員、特に指導教員となるでしょう。

 

残念ながら教員によって研究倫理意識が異なるので、大学院にいると「〇〇先生のところの研究は、研究倫理的に危うい」というような噂は聞こえてきます。

正直、今回のケースほど重い違反ではないですが、「それ問題化したら場合によったら博士号剥奪まで行くんじゃない…?」みたいな噂も僕の耳には届いています。

そのため、今回のニュースの件は「研究倫理違反の氷山の一角に過ぎないのではないか?」とも思いました。

 

 

「研究倫理違反は油断したら起こり得る」?

しかし、「研究倫理違反」と一口に言うと故意のもと起こるものと感じますが、中には油断すると誰でも侵してしまいそうなものもあります。

例えば、引用について。

研究者は大量に文献を読んでいるので、どの文献に何が書いてあるかということを忘れがちになります。

そのために読んだ文献と後々引用できそうな内容をノートにメモしたりExcelにまとめたりと、何かしらの記録をとっておくことが推奨されます。

 

「どの文献に書いてあったか忘れたけどとりあえず出典を明記せず引用しちゃえ!」は明らかなアウトです。

しかし、研究について考えすぎてしまうと迷うのが、「どの内容から引用が必要なんだっけ?」ということ。

 

研究領域では常識なものを扱う場合、わざわざ引用を書くまでもないと判断される事があります。

しかし、常日頃研究領域にどっぷりと浸かっているのが研究者です。

「お前はそれを『常識』と言うけど、他人からすると全く常識じゃねえよ!」みたいな認識の相違が普通に起こります。これが引用の不足に繋がる可能性は否定できません。

「どの程度の言説から引用が必要か?」という認識は人によって大きく異なるので、研究倫理違反とは言わないまでも「その言説を引用なしに持ってくるのは乱暴だろ」というものは結構見かけます。

 

僕の場合、そういうことを避けるために常識かどうか少しでも迷ったら絶対に引用を持ってくるようにしていたり、研究領域が少し異なる人にチェックしてもらったりすることで対策を打っています。

こういう対策をとっていない人も多いですし、僕の対策が十全であるとも言い切れないかもしれません。

 

このような場合での研究倫理違反(悪意のないミス)の場合、「博士号剥奪」とまではいかないでしょうけど、小さなミスが積もり積もって問題となることもあります。

特に博士論文は多くの研究の上に築かれるものです。

つまり、その執筆作業の中で小さなミスが山積しやすいとも言えるでしょう。

今回のニュースを見て自分も今まで以上に細心の注意を払って研究をする必要があるな、と兜の緒を締め直しました。

 

 

最後に:細心の注意を払おう。悪意ある違反は避けよう。

今回は研究倫理の中でも社会常識的なものを中心に話を進めましたが、研究(出版)界隈特有のもので侵されやすいものもあります。

例えば、「オーサーシップ」の問題。誰をその論文の著者とするか、何番目の著者とするかという問題です。

ざっくりと説明すると、論文の著者は研究への貢献度が高い順に氏名を掲載することになります。

大学院生が教員と共著で論文を執筆するということは多々あります。

その際、「ほとんど大学院生が研究を進めたのに指導教員に第一著者を奪われた」とか「ほとんど指導教員が研究をしているが、大学院生の研究業績のために大学院生を第一著者にした」とかどちらも起こり得ます。

前者は明らかにハラスメントですし、後者も取りようによっては美談ですが研究倫理的にはアウト。

 

他にも、「サラミ出版」と言われるものがあります。これは一つの研究として発表する事が望ましいものを複数に分割して出版するものです。業績の水増しに悪用される研究倫理違反です。

ただし、どこからどこまでを「一つの研究」とすべきかは研究領域や学会によって解釈が異なります。どこからがセーフでどこからがアウト、というのは個人判断では難しいです。

データ・分析が膨大だから分割したとか、同様のデータを用いているけど数年後に別な手法や角度から再分析してみら異なる結果が得られたので論文化したとかならセーフ判定になることもあるものです、サラミ出版は。

 

論文検索をしているとサラミ出版っぽいものが結構出てきますが、上記などの理由からセーフ判定になるものの方が多いでしょう。

しかし、中には「学会がセーフ判定して掲載してるけど、外野からするとアウト判定じゃない?」とか「そもそもサラミ出版の可能性があることを学会は把握した上で掲載しているのか?」とか突っ込みたくなるものもありますが… うーん…

 

このように研究倫理違反は今回の報道のような明らかな故意のもと起こるものだけではなく、悪意がなくとも起こり得るもの、どこからが違反か判断が難しいものもあります。

ただ「これは研究倫理に抵触するかも」と少しでも迷ったら、研究倫理違反になるかどうかのチキンレースをすることなく、意識できる範囲のものに関しては従順に守っていくのが賢いでしょう。

 研究の世界でも信用はとっても大事。それを失うような行為は避けましょう。

 

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